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全葬連葬儀事前相談員

お葬式のことは全葬連葬儀事前相談員がご相談に乗ります

お葬式のことがよくわからない、どんな準備をすればいいのか費用はいくらくらいなのか・・・・・
お客様からのお葬式に対する様々な疑問に、葬祭サービス事業者として真摯な姿勢で誠実にお答えするために「全葬連葬儀事前相談員資格制度」は生まれました。



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葬祭コーディネーターコンテスト

葬儀業者の社員の自己の知識、実演の技術内容・水準だけでなく、消費者・生活者の立場を尊重・理解すること、お客様にどのような印象を与えているかなどの確認を行うことを目的としております。

葬祭コラム

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第70回

除夜の鐘が響けば

 この季節になると毎回同じような嘆息を漏らしている気がするものの、時間の経つのは早いもので今年もあっという間に年の暮れとなり、もう少しすると大晦日。今年もあちらこちらで除夜の鐘が響きわたることでしょう。
 ところで私は以前、期せずして除夜の鐘を突く「予約権」を手に入れたことがあります。最近では少しばかり珍しい部類に入るのでしょうが、私は結婚を仏式で行いました。妻とは生まれが同じ地域で、私たち夫婦も含めて近隣の老若男女に親しまれている古刹が近くにあったため、お願いしてみようかということになったのです。そして結婚式の申し込みをする段になると、ありがたいことに「ご希望があれば新郎新婦は優先的に除夜の鐘を突くことができますよ」というお話をいただきました。というわけで、鐘を突くため寒い中で行列に並ぶ他の方々には申しわけないと感じつつも、思いがけない好意にあずかったとは言えるかもしれません。もっとも、後でそのことを知人に話したら「除夜の鐘というのは煩悩を払うために突くのだから、君たち夫婦はよっぽど煩悩にまみれていると思われていたのだろうな」と言われましたが……。
 そんな冗談はさておき、大晦日の風物詩として最たるものとも言える除夜の鐘ですが、最近ではもっぱらテレビで見るだけで自分では突いたことがないという方も多いのでは。たしかに紅白歌合戦の華々しい終演から、打って変わって厳かに除夜の鐘が鳴り響く光景にテレビの画面が切り替わるのも現代の年末年始を彩る一つの風物詩であるとは言え、それだけでは少し味気ない感もします。
 師走を迎えて私たち葬祭業の仕事も一層慌ただしくなるのが常ですが、今年と言わずにたまには除夜の鐘を突きに出かけてみるのはいかがですか。旧年を振りかえり、新年に向けて清らかな思いを新たにするには良い機会かもしれません。どうぞ、皆様よいお年をお迎えください。

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第69回

リスク化する葬儀

 終活という言葉を見るといつも、今や葬儀とはリスクの一つになってしまったのだとつくづく感じます。たしかに、死という出来事はいつ起きるか予測がつかず、できることならば避けたいという意味では古今東西変わらぬものではあるでしょう。だからこそ、葬祭業界では「もしものために」といった言葉が広告宣伝のなかで多く用いられてきましたし、時と場所を問わず対応できるという点を私たちも前面に打ち出してきました。もちろん、その中心にあるのは、あくまで良質なサービスを提供するという趣旨に違いありません。
 その一方でエンディングノートや生前契約、そして任意後見制度などの終活に含まれるさまざまな手立ては、それらもまた専門家が提供するサービスには違いありませんが、人生設計上のリスク管理という意味合いが強いような気もします。あるいは、まさに保険がそうですが、未来を先取りしておくことによって安心感を得るための準備行動とでも言えるでしょうか。
 しかし、かつての葬儀とは生きている内から着々と能動的に「準備しておく」ものではなく、受動的にその時を「迎える」ものであったのも事実です。当然、それが出来たのは家族に、近親縁者に、そして地域の人びとに看取られて旅立っていくことが普通で、要するに自ら手立てを講じる必要がなかったからですが、もはや現代の超高齢社会ではそれが普通の状態などとは到底言えません。
 何しろ高齢者の人口が単に増えているというだけでなく、日本の全世帯に占める「高齢者の一人暮らし世帯」の割合が一割以上にもなっている今日です。自らの死を担ってくれる人が自分以外に存在しないという人も増えているなかで、葬儀をリスクとしてとらえる傾向が強まっていることも理解はできます。ただ、本当にそれで良いのかということは、他の誰よりも私たち葬祭業に携わる者が考えていかねばならない課題に違いないでしょう。

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第68回

葬儀とごちそう

 「ごちそう」という言葉から、読者の皆さんはどのような食べものを思い浮かべるでしょうか。平成生まれならば話はまた違うでしょうが、もしも昭和の記憶が色濃く残っている世代ならば、寿司やステーキといったところを真っ先に思い浮かべた方も多いのでは。
 寿司にしてもステーキにしても、それを食べるということは、かつては今と比較にならないほど晴れがましい出来事だったような気がします。余談ですが私の生家では、すき焼きを大晦日に食べる習わしがありました。さして家計も裕福ではなかったのですが、おそらくは牛肉というものが何か特別なステータスを持つように思われていた時代の名残で、一年の終わりぐらいは少しでもぜいたくをしようということだったのかもしれません。
 しかし、そもそも外食をすることが、つまり「家の外でものを食べる」こと自体がごちそうだった時代もあったわけで、とりわけ都市から離れた地域ではその傾向が顕著でした。皆で集まってごちそうを食べるというのは紛れもなく晴れがましい「ハレの日」であり、だからこそ各種の祭事や講では非日常を演出するために、ごちそうを供したのでしょう。
 一方、ハレとケという考え方で言えば、葬儀はケに分類されることが多いようです。これは死と遺体の穢れ(「ケ」ガレ)という連想から来ていると思われますが、皆で集まってごちそうを食べるという意味では、葬儀はハレの日とも言えます。葬儀となれば地域内の女性たちが総出で什器を持ち寄っては喪家に集まり、朝から晩まで忙しく台所で料理をつくるという光景も、かつては見慣れたものでした。今と違ってファミレスやコンビニもない時代、葬儀はまさしく数少ない「ごちそうにあずかる機会」だったのです。それでは、現在はどうでしょうか。飽食の時代と言われてすでに久しい今日、葬儀の位置づけと、そのサービスの「真の豊かさ」を振り返るためにも、ぜひ考えてみてもらいたい問題です。

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第67回

老老葬儀

 老老介護に老老世帯。近年、よく耳にする言葉です。老老介護とは、高齢者が高齢者を介護すること。老老世帯とは、単身世帯か否かを問わず、高齢者のみで構成された世帯のことを指します。同居する家族がお互いに高齢者で、介護をするのも、介護をされるのも高齢者。ひと昔前であれば少数派であった光景は、今では当たり前になってしまいました。よく考えてみると、葬儀もその傾向がそろそろ顕著になってきているとは言えないでしょうか。
 先日私が参列した葬儀では、私を除いた全ての会葬者がお年寄りでした。「ものの見事に」というのは少し不謹慎ですが、導師もかなりお年を召しているという状況です。家族や親族で誰か一人ぐらいは若い世代がいても良さそうなものですが、色々と事情もあるのでしょう。さすがにそこまでのケースはあまり見受けられないような気がするものの、何しろ現時点で全人口の四人に一人は六十五歳以上の高齢者。老老介護ならぬ「老老葬儀」がありふれた光景になる日は、遠くはないのかもしれません。いや、すでにそうなっているとも考えられます。人口構造そのものが高齢化の一途をたどっているのですから、それも無理からぬ話です。重要なことは、さまざまなサービスをしっかりと超高齢社会に対応させているかどうか、ということではないでしょうか。
 そう考えると、私たち葬祭業の側も、高齢者の力を今まで以上に活かす道筋を真剣に考えなければならない時期にきていると言えます。サービスを受ける側のニーズを理解して、それを受けとめられるのは、やはり同じ高齢者に違いありません。経営のかじ取りを担っている方々にとっては難しい問題であろうとは思うものの、若い世代をこれからの葬祭業にどれだけ引き込むかということだけでなく、高齢者だからこそ持ち得る活力を事業展開に結びつける方策を考えてみませんか。

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第66回

職業病

 ピアニストの指先が、演奏中に硬直して動かなくなってしまう。ゴルフ選手の腕が、ここぞという一打の時に痙攣してしまう。このように、自らの仕事で繰り返し酷使する肉体の一部分だけが意のままに動かなくなる「局所性ジストニア」という病気があります。日常生活では痛みも含めて何も起きないことも多いそうで、仕事の時だけ動かなくなるとはむしろ残酷な話。いずれにしても音楽家やスポーツ選手にとっては職業病のひとつと言えなくもありません。さて、それでは私たち葬祭業の職業病を考えてみると、それはどのようなものになるでしょうか。
 まず、誰もが思い浮かぶのが「腰痛」。実際に私の周囲では、真剣な悩みを抱えている方が少なくありません。現場にいる間はほとんど立ったままで、重い祭壇や葬具などを運ぶ肉体労働もそれなりに。そうかと思えば移動時には長時間にわたって車中で同じ姿勢を強いられ、現場から戻ればひたすら書類と格闘するデスクワークが待ち受けている。こう書いているだけで何やら腰が痛くなりそうです。あとは、どうしても勤務上のローテーションが不規則になってしまうことで、食生活や睡眠時間の乱れが生活習慣病に結びついてしまう可能性もあるでしょう。
 ただし、私たち葬祭業が真っ先に、そして常に細心の注意を払わねばならない職業病が他にあります。遺体からの感染症です。職業病と言っていいかどうかは別として、その危険性はいつでも認識していなくてはなりません。現場で仕事に携わる方は、よもやその脅威を軽視していることはないとは思うものの、忙しさの中でついつい手袋の着用や手洗い、適切な消毒を忘れてしまっていることはありませんか。ただでさえ、暑さで意識も朦朧とするような季節。ちょっとした気のゆるみで取り返しのつかないことになる前に、もう一度初心に戻って、衛生的で清潔な仕事の環境を整えておくことが肝要です。

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第65回

葬儀屋さんのワーク・ライフ・バランス

 「葬儀業界での働き方が変わろうとしている。人の死は予測できないため、年中無休で長時間労働が避けられないことが多いのが通例だった。ただ、それでは人手不足の中で多様な人材確保が難しいと、女性社員の深夜早朝勤務をやめたり、夜勤専門職を設けたりし始めた。メリハリある働き方の導入で、利用者の細かなニーズにも対応しようとしている(日本経済新聞・六月二十一日付紙面より抜粋)」
 先日、全国紙にこのような記事が掲載されました。小欄でも葬祭業の労働環境については何度か触れてきましたが、本当に「葬儀業界での働き方が変わろうとしている」のか否かは、未だ疑問の残るところではあります。しかし業界の未来を考えれば、ここで示されているワーク・ライフ・バランス、すなわち「仕事と生活の調和」の実現は、最重要課題の一つであるに違いありません。逆に、優れた資質と意欲のある人びとを吸い寄せるような、魅力ある職業としての将来像を社会に提示しない限り、私たちの業界は先細りになるような危惧さえ覚えます。とは言え、「分かってはいるが、なかなか難しい」というのが実情ではないでしょうか。また、「夜討ち朝駆けは当たり前なのが、この業界だ」と感じている方も多いのでは。
 それも職業人のプライドとは言えるでしょうが、問題はそれが往々にしてお客さまに過度の負担を強いる場合もあるということです。家族の一員を失って憔悴しているお客さまに、段取りの良さばかりを追求して悲嘆と混乱をさらに増してしまうことは、絶対に避けなければなりません。そして私たち自身も健やかな労働環境を保つことで、抜粋した記事の最後に記されているように「細やかなニーズへの対応」を編み出す余裕が生まれてくるはず。とりわけ会社のかじ取りを握っている経営者の方々には、この問題に真剣に取り組んでもらうことを心から願っています。

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第64回

現代の霊魂観

 喪家が自らの檀那寺だけでなく、宗派もすこし覚束ない。よくある話です。それ以前に、お寺はそもそもお参りするもので、檀家になるという思考すらない方もいますから、「最近は宗教離れで」という言葉が盛んに唱えられて久しいのも無理からぬ気がします。
 ただ、そうした傾向の是非は別として、今でもお正月には皆さん初詣や七五三、はたまた厄払いに赴きますし、無宗教葬の割合も管見の限り急激に増えているような気配もありません。「いや、直葬の増加こそ宗教離れの最たるものでは」といった声も聞こえてきそうですが、完全に宗教者と宗教儀礼を排した形式は、まだ少数派ではないでしょうか。
 こんなことを考えたのは、最近の若い人々と話していると「宗教の力」というのは未だ色あせていないどころか、逆に強く求められているような思いに至ることが多いからです。学生、または社会人になりたての方々と話していると、意外に霊や魂といった話題が多いのに気づきます。しかも興味本位で話をするというわけではなく、真剣に、その存在について尋ねればあれこれと自説を話してくれる光景に出会うことが多いのです。霊や魂といった概念は、宗教という問題と全て重なるわけではありませんが、それでも宗教的な観念の土台となるものとは言えるでしょう。
 民俗学の泰斗として知られる柳田國男は、かつて「日本的な死後の観念というのは、霊がどこかに行ってしまうというよりも、それほど遠くないところに留まっていてくれるという根強い思いに基づいている」という趣旨の議論を、『先祖の話』という名著に書き記しました。もしかすると東日本大震災や先日の熊本地震の経験によって、「人が死ぬ」ということに社会全体が思いをはせるようになったことも、背景の一つにあるように思います。親しい人には、死してなお、どこかに留まって見守っていてほしい。そんな思いは、今も昔も変わらないのかもしれません。

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第63回

打ちひしがれた人々のために

 この稿を書いている時点では未だ熊本県を中心とする地震が断続的に発生しており、いわゆる震災関連死と推測されるケースも含めて被害者の数も刻々と増加しています。まずは今回の熊本地震で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表するとともに、現地で困難な状況にある方々が一刻も早く安全で健やかな日々を取り戻すことができるようにお祈り申し上げます。
 この世を去られた人々と、そのご遺族をはじめとする周囲の人々と毎日の仕事のなかで接する葬祭業とは言いながら、やはり今回の地震のような甚大な被害を目の当たりにした時には、「はたして私たちには何ができるだろうか」と自問自答する方もきっと多いことでしょう。本稿を執筆させて頂いている私自身も、同じ気持ちを抱いています。
 全葬連も、そして各地の単組も、おそらくはそのような思いを胸に自治体との災害協定を結ぶなどして災害への対応に取り組んできました。すみやかに、そして安らかに故人を弔うだけでなく、打ちひしがれた遺族の方々にとって葬儀という機会がどれだけ重要であり、大きな支えになるかということを知っているからです。
 だからこそ、今の時点で「何もできない」という自責の念に駆られている読者もきっと多いはず。ただ、現地に飛んで活動することだけが支援ではないのも事実です。募金活動や支援物資の提供などのように、自らが暮らし、仕事をしている場に留まってはいるけれども現地を支えられる活動は少なくありません。そしてまた、そのような活動に携わりながら毎日の業務に励むことも、私たち葬祭業の仕事が持つ意味を考えれば立派な支援だと私には思えるのです。死の現実を前にして打ちひしがれた人々のために、何ができるのか――その問いの重さを考えれば、葬祭業の仕事はいつでも、そしてどこでも人びとの支えになるのですから。

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第62回

葬儀屋さんのドレスコード

 多くの人びとにとって会葬時の服装はちょっとした悩みの種でしょう。通夜には平服で行くべきか、それとも喪服か。ピアスやイヤリングは外しておくべきだろうか。スーツはダブルよりもシングルのほうが無難だろうか。それぞれに程度の問題がありますし、全てに当てはまる正解を打ち出すのもなかなか難しいところですが、それでも葬儀屋さんならば個別の事情と場合に応じた適切なアドバイスを与えられるはずです。それでは、葬儀屋さん自身の服装に関してはどうでしょうか。
 近年では、さすがに葬儀の最中でお客様に懸念を感じさせるような服装を身に着けているスタッフを見ることは過去に比べて少なくなりました。制服を用いている会社もあるようですが、それも会社全体としての統一感を出したいということに加えて、それぞれのスタッフが色々と迷わなくていいように便宜を図るという意味合いもあるのかもしれません。ただし、お客様から受ける苦情の中で「身なりが気になった」という内容は、現在でも未だかなりの割合を占めていると聞きます。その理由を考えると、おそらく式中というよりも打ち合わせや設営など、葬儀の場以外での服装に気を遣っていないケースが多いのでは。
 とは言え、これも判断に迷うところではあります。たとえば私も生花を扱う際には花粉や水滴がスーツに付くのを避けるためにジャンパーやエプロンを着用することもありましたし、祭壇を組む時には上着を脱いで腕まくりもしていました。お客様が事前に供花や祭壇のチェックに来られる時はもちろん身なりを正すものの、そのような「作業着」の姿でお客様の前に現れることは避けたほうがいいでしょう。葬儀という厳粛な場が貶められていると感じる方もいらっしゃるからです。
 要は会葬時と同様、葬儀屋さんのドレスコードも時と場合に応じて臨機応変に……という他はないのですが、式中以外も常にマナーと清潔感を心がけるようにしたいものですね。

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第61回

風化と風花

 福島を訪れると、よく風花(かざはな)に出会います。陽光輝く晴れやかな天気で、あたかも空のなかで舞うかのように降ってくる淡い雪。それが風花です。そう言えば東日本大震災が起きた五年前も、まだ風花がちらつくような寒い季節でした。
 東北の冬は長くて辛いという印象がありますが、三月初旬と言えば米づくりの農家にとっては田植えの準備に精を出し、多くの学校はまさに卒業式の時期。つまり、もうすぐ訪れる春への期待に人びとが胸をふくらませている時に、あの筆舌に尽くしがたい大惨事が襲ったのです。原発事故も収束には程遠いと言わざるを得ない現状を考えると、そして五年という歳月を経ても未だ風花が舞うような「冬と春のあいだ」で宙づりのまま時間が止まってしまったかのような日々を送る方々のことを思うと、胸が痛みます。
 その一方で、震災の記憶は確実に風化しているようにも思われないでしょうか。単にマスコミの記事や報道が減ったということではありません。むしろ、それ自体は当然のことではあるでしょう。それよりも問題であるのは、震災直後にほとんど全ての人びとが抱いていたであろう危機感や、「私は今、何ができるのだろうか」という主体性のある思考すら、徐々に薄れかけているという状況です。あるいはそれらの動きと結びついて、震災を半ば「なかったこと」にでもしたいかのように、不自然な区切りを付けたいという政治的な思惑も最近では見え隠れしています。
 タンポポの綿毛のようにも見える小雪を手のひらで受けとめると、すぐに溶けてなくなってしまいます。あの震災の記憶が風花のように溶けてしまわないように、ぜひ三月一一日だけではなく日常生活のなかで折に触れて、「あの日、私は何を感じて、どうしなければいけないと考えたのだろうか」ということを少しずつ、ゆっくり振りかえってみてください。

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