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全葬連葬儀事前相談員

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葬祭コーディネーターコンテスト

葬儀業者の社員の自己の知識、実演の技術内容・水準だけでなく、消費者・生活者の立場を尊重・理解すること、お客様にどのような印象を与えているかなどの確認を行うことを目的としております。

葬祭コラム

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第60回

柊鰯のゆくえ

 はるか昔から現代まで続いている行事や慣習は数多くありますが、さしずめ今の季節ならば節分の豆まきを思い浮かべるのではないでしょうか。「鬼は外、福は内」の掛け声に合わせて豆をまく。豆をまいた後は、無病息災を願って年齢の数だけ豆を食べる。それらの知識は誰もが今でも持っています。節分に豆まきを行う学校も多いと聞きますから、家庭以外の場所でも自然と「節分には豆まき」という感覚が培われるのかもしれません。
 それでは柊鰯(ひいらぎいわし)はどうでしょうか。これも豆まきと並んで節分に行う慣習のひとつで、文字通り「鰯の頭」と「柊の枝」を玄関などに飾るものです。あくまで個人的な感覚ではあるものの、とりわけ大都市ではこの柊鰯を知る者は年々少なくなっているように思います。以前、東京で生まれ育った数十人の学生を相手に話をする機会があったのですが、柊鰯を全く知らず、見たこともないという者は全体の九割にも上りました。
 しかし一方で、同じような年齢の学生たちを相手に東北のある町で柊鰯の話をしたところ、ほとんどの者が知っていると答えたばかりか、なんと半数以上のが「節分になると家で柊鰯を飾っている」と言うではありませんか。これには私もびっくりしました。あまりに地域差が激しいからです。
 柊鰯も豆まきも、少なくとも平安時代あたりまでは遡ることができる古い歴史を持つのだとか。ただ、率直に言ってどちらも昔と全く同じというわけにはいかないでしょう。いろいろな変化を経て、あるものは受け継がれて、あるものは廃れて消えていく。それは自然と言えば自然な流れではありますが、昔の人びとがさまざまな思いを込めたものを消えていくままに任せることも、いささか切ない気がします。新しくて良いことは積極的に、ただし古くて良いものも同じく積極的に。葬送儀礼の歴史を受け継ぐ私たちこそ、そんな気概を持って毎日の仕事に臨みたいものです。

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第59回

新たな気持ちで

 いよいよ新しい一年が始まりました。年が明けても何かと慌ただしく、ゆっくりと新年を祝うこともできないという方も多いかもしれませんが、何はともあれ最初が肝心。年の初めには、やはり清新な心もちで万事に臨みたいものです。
 ところで、新年は一体いつから始まるのでしょうか?「元旦の午前0時に決まっているじゃないか」という声が紙面の向こうから返ってきそうですが、たしかに現代の感覚では日付が変わるのは真夜中の午前0時。新年も一月一日の午前0時から始まるという考えが普通でしょう。そう言えば大晦日のテレビ番組でも「あけましておめでとうございます」の第一声が出るのは午前0時です。
 しかし、昔は一日の始まりを日没とする感覚もあったので、実は大晦日の夕方あたりからすでに正月は始まっているという説を時折見かけます。さらに加えると、昔から今に至るまで、通常の生活のサイクルで一日の始まりと言えば太陽がのぼる朝。というわけで、新年は早朝に初日の出を迎えて始まるという考えもありそうです。
 「昔」をいつの時点に定めるかによっても考えかたは分かれそうですが、私見を述べるならば、どれも一理あるといったところでしょうか。ただし、明治時代に太陽暦(新暦)が導入されて社会に浸透するまでは、現在のように一般の人びとが正確な時計を持っていたわけでもなく、また多種多様な暦が存在していました。しかも、その多くは月の満ち欠けを基準にしていましたから、そもそも一日の長さすら季節によって異なるのです。
 そう考えると、年があらたまったという清らかな気持ちになったときが新年の始まり、と言えるかもしれません。葬祭業の仕事は日夜途切れることなく続くものですが、やはり正月には身も心も清々しく整えて、これからの一年を迎えたいものですね。今年も皆さまにとって、よい年でありますように。

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第58回

風邪にご用心

 いよいよ季節は師走となり、マスク姿を見かけることが増えてきました。最近では風邪でなくともマスクをする人が多いようで、たしかに季節を問わず目にする気がします。喉の保湿効果といった理由もありそうですが、若い人に聞いたところではマスクを一年中愛用している芸能人の影響もあるのだとか。
 さて、葬儀でのマスク着用の是非を考えると話は少々ややこしくなります。おそらく一般的なマナーとしては、各種の式典で脱帽するのと同じ感覚で、マスクを取って参列することが礼儀にかなっているでしょう。たとえばマスク姿で焼香するというのも失礼かつ奇異な光景に見えます。しかし葬儀の間ずっと咳やくしゃみが止まらない会葬者などを見かけた場合、マスクをして周囲に配慮したほうがよいのでは……と考える方もいるのでは。
 ちなみに市販のほとんどのマスクは、実をいうと風邪を防ぐ効果はさほど無いのだとか。よく風邪は細菌によってうつると誤解されていますが、細菌よりもはるかに小さいウィルスによって伝染するものなので、通常のマスクでは布地の網目を簡単にすり抜けてしまうのだそうです。そう考えるとマスクを着用するというのは、むしろ咳やくしゃみによって風邪のウィルスを他人にまき散らさないための配慮だと言えるでしょう。
 いずれにせよ風邪を引いたら外に出ないことが一番なのでしょうが、体調不良を押してでも葬儀に参列して故人を弔いたいという思いも尊重したいところ。式場の広さが十分にあるならば一人だけ離れたところで着席して頂くことも可能かもしれませんが、場合によってはトラブルになりかねません。こればかりは時と場合による、と言えるでしょうか。
 ただし会葬者をお迎えする私たち葬祭業者の側は、故人への礼儀という点でもやはりマスクの着用は時と場合によらず慎むべき。そのような悩みを抱えなくてもいいように、普段から体調管理を万全にしたいものですね。

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第57回

葬祭業とコンプライアンス

 つい先日、現職の閣僚が自らの地盤で行われた葬儀に香典や枕花代を出し、公費として堂々と政治資金収支報告書に記載していたとの報道がありました。政治家とて葬儀には参列するだろうし、何か問題があるのか――よもやそんなことを考えた読者はいないと信じたいところですが、意外と業界内ではこのようなコンプライアンス(法令遵守)の問題に頓着しない方が未だ少なくないようです。
 あらためて言えば、このケースは完全に公職選挙法違反。政治家が自分の選挙区内の人びとに寄附を行うことは、原則として禁じられているからです。本人が参列し、かつ私費で香典を出すならば問題はないとされていますが、それでも常識的な金額を超えたらアウトです。秘書が代理で参列して香典を渡すのはもってのほかですし、供花・花輪の類を出すことも明白な違反となります。
 考えてみれば、このような公職選挙法の規定に限らず、私たち葬祭業はいつでもコンプライアンスの最前線に立たされている存在です。いわゆる墓埋法から民法・刑法・消費者保護法に至るまで、私たちの日常業務に関連する法令は枚挙に暇がありません。また、法改正が行われた際には正確に理解することが否応なく求められますし、その他に地域ごとの条例にも配慮する必要があります。
 その一方で、「昔はもっと大らかだった」という印象を持つ方もいるのでは。冒頭のケースにしても、議員秘書があちらこちらの葬儀に代理で参列し、香典を置いて足早に去っていくといった光景は、特に業界内のベテラン勢の皆さんにはありふれたものだったでしょう。ただし、すでにそんな時代ではありません。コンプライアンスに無関心な業者が一社あるだけで、業界全体が社会から批判のまなざしを向けられます。公明正大な経営こそ最も効率的で合理的であるという大局的な意識を持つことが、過去にも増して求められているのではないでしょうか。

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第56回

たまには月でも

 月月に/月見る月は多けれど/月見る月は /この月の月――古くから伝わる和歌ですが、現代風に言えば「美しい月は毎月巡ってくるけれど、この素晴らしい月はこの時だけ」といった意味になるでしょうか。
 先月の九月二十七日は中秋の名月でした。つまりは旧暦八月の十五夜。昔から一年で最も月が映えると言われてきた時期です。地球から見る月が最大になる「スーパームーン」が翌日だったこともあり、例年よりも大きく報道されていた気がします。皆さんのなかにも月見を楽しんだ方が多かったことでしょう。
 しかし、多忙で月見どころではなかったという声も聞こえてきそうです。葬祭業は何かと時間に追われることが多いものですが、もうひとつの特徴はどうしても夜に仕事が食い込むこと。通夜の後かたづけは言うに及ばず、ご遺体の搬送からお客さまの連絡に至るまで、コンビニが登場する以前から二十四時間・三百六十五日の業界ですから、その良し悪しは別として「夜討ち朝駆け」が当たり前のようになっているのも事実です。
 人の死という重大事に携わるわけですから、それもある程度は無理からぬことかもしれません。とは言え、夜になると「疲れたなあ」とため息をつく場面も多いはず。かつては私もそうでした。でも、ひっそりと静まり返った病院から出ると、あるいは通夜の後に式場から出ると、いつも夜空を淡く照らす月を見ただけで何やら安らぎを覚えたものです。
 もしかすると、それは太古の昔からずっと変わらないものを自然に思い浮かべるからなのかもしれません。夜には月がのぼり、人間はいつか死ぬ。それはこれまでも、そしてこれからも永遠に続きます。一方で、ひとつとして同じ月がないように、ひとつとして同じ死にざまもありません。たまには月でも見上げながら、私たちはそんな一期一会の仕事を手がけているのだということを静かに感じてみてはいかがでしょうか。

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第55回

幕張試験について考える

 今年も葬祭ディレクター技能審査の季節がやってきました。小欄でも以前に「『葬祭ディレクターになる』とは」と題してあれこれと論じましたが(平成二十三年十一・十二月)、今回は受験科目のひとつである幕張試験について考えてみたいと思います。
 率直に言うと、技能審査が開始されてから現在に至るまで、幕張を受験科目に含めていることに疑問を覚える方も少なからずいることでしょう。何しろ最初の試験が行われた二十年前ですら、現場で白布を裁断して幕を張るというような設営は「よくあるケース」とは言えないものでした。特にテーブル幕については、既製品をすっぽり被せて一丁あがりという感覚がもう普通になっています。
 その一方で、幕張の技能には未だそれなりの意義があるようにも思うのです。葬祭業に求められる「手際と段取りの良さ」を端的にあらわしているということもあります。また、勝手知ったる自社式場ではない集会所や寺院での葬儀、あるいは数少なりましたが自宅葬の現場では、まだまだ必要な技能であるはず。いかなる場所でも臨機応変に設営ができるというのは重要な技能ですし、現場に行ってから「できません」では困ります。
 ただし私が個人的に考える幕張試験の最大の意義は、実をいうと受験者の技能水準そのものをチェックするという点にはありません。むしろ、しっかりと幕張の技能を教えてもらえるだけの人間関係と経験を築いているか否かという点を、間接的ながらも知ることができるという点に意義を感じるのです。一級・二級の別を問わず、七分間で焼香机の幕張を仕上げるというのは、独学ではいささか至難の業。だからこそ幕張試験を通過するためには、上司や先輩など周囲の人間とコミュニケーションをとりながら熟練を重ねていくという過程が必要になるわけであり、幕張試験ではその経験まで問われているのだ、と考えることもできるのではないでしょうか。

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第54回

戦争と家族葬

 以前、葬祭業界の長老格にあたる方にお話を聞いていた時のこと。「今はみんな、家族葬って言うけれど」――その後に続いた言葉は、私にとっては少し思いがけない言葉でした。「僕から言わせれば、それが当たり前っていう時代もあったんだ。もちろん、いくらかは場所によって違うだろうけれど。でも、たとえば都会の下町なんていうのはどこも似たりよったりだったね」
 さて、どういうことでしょうか。私が「それはいつのことですか?」と問いかけると、それまで快活だった長老の口が、少し間を置いて重々しく開きました。「戦争中のことさ。そうしたかったかどうか、という問題じゃない」
 男たちは戦地に駆り出され、あたり一面は焼け野原となり、遠くにいる親戚を呼ぶなどということも考えられない。誰もがその日を生きることに精いっぱいの時代です。困窮をきわめる暮らしのなかで、しめやかに身内だけで葬儀を出そうと思うのはむしろ自然なことかもしれません。あるいは遺骨になって帰ってきた者の変わり果てた姿を前にして、あえて「まだどこかで生きているかも」と近所には声をかけずに身内だけでひっそりと弔うという場合もあったでしょうか。何しろ戻ってきた骨壺におさめられていたのは、骨ではなく現地の石ころであったということも珍しくはなかったのですから。
 そして現在。少なくとも戦火には巻き込まることのない日々が七十年近く続き、平和を謳歌する今の日本で家族葬の形式が広く浸透している状況に思いを馳せると、あの「そうしたかったかどうか、という問題じゃない」という言葉が私の脳裏に時折よみがえります。家族葬という形式が良いか悪いか、ということではありません。ただ、亡き人を弔うことさえもままならない時代に二度と戻ることがないよう、私たち葬祭業者も常に意識しなければならないと、そう思うのです。

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第53回

がんばれタソスさん

 「EU側がギリシャによる金融支援の延長要請を拒否した二十七日、アテネ市民は先行きへの不安を隠せない様子だった。(中略)一方、葬儀業のタソスさん(七十歳)は『国民投票以外に選択肢はなかった』とチプラス氏の決断に理解を示した」【六月二十八日付 日本経済新聞国際面より引用・一部改変】
 ギリシャが今、大変です。財政悪化による国家破産の危機に加えて、現首相のチプラス氏がEUの求める緊縮策を受け容れるか否かで国民投票を行うと発表したことが国内外で大混乱を招いています。とは言え、今回は国際金融の話題ではありません。
 冒頭の記事で私の目を引いたのは、「葬儀業のタソスさん」。もちろんギリシャに葬儀業があるのは何の不思議もないのですが、さまざまな想像が脳裏に思い浮かびます。七十歳のタソスさんは、これまでどのような人びとの生死と向き合い、どのような葬儀を手伝ってきたのだろうか。ギリシャ正教が圧倒的な多数派を占めると言われる当地では、どのように亡き人を偲ぶのだろうか。そして景気が極限まで落ち込む中、ギリシャの葬儀屋さんはどのような苦労を抱えているのだろうか。
 ほとんど想像というよりは「妄想」に近いものですが、バブル経済の終焉から長きにわたる不況を経験してきた私たちにとっても、彼らの苦境はどことなく他人事には感じられない出来事です。また、バブル後の不況はたしかに業界内の熾烈な淘汰をもたらしましたが、一方では葬儀業の社会的な役割をあらためて見直し、顧客と向き合うための真摯な方向性を再発見する機会になったと肯定的に考えることもできるでしょう。
 国家経済がどのような状況になろうとも、「最期のときを手伝い、支える」という私たちの存在意義が失われることはないはず。そんな気概を胸に、エールを送りたいと思います――がんばれタソスさん。そして、がんばれ日本の葬儀屋さん。

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第52回

暑中お見舞い申し上げます

 本欄のタイトルを見て「いや、まだちょっと早いのでは」と思われた方も多いはず。もしくは「ははあ、前もって書いておいた原稿を間違えて載せてしまったんだな」と、勘ぐられてしまうかもしれません。
 しかし本紙六月号の刊行日である六月十五日は、まぎれもなく「暑中見舞いの日」なのです。戦後間もない昭和二十五年の六月十五日、当時の郵政省によって初めて「暑中見舞用郵便葉書」が発売されました。それ以来、この日は暑中見舞いの記念日となっています。というわけで郵便局に行けば、もう暑中見舞い用の葉書が販売されているはずなのですが、さすがに六月中から暑中見舞いを送る方は少数派でしょう。
 このようなことをつらつらと考えたのは、五月下旬から六月初旬にかけて「暑中お見舞い申し上げます」とでも手紙に思わず書いてしまいそうな猛暑が全国を襲ったことがきっかけでした。暑ければ「暑(い)中」には違いありませんし、だいたい暑中見舞い用の葉書もすでに販売されているのですから、その意味では暑中見舞いを出してもいいのかもしれません。
 ただし、送られた側も戸惑うであろうことは火を見るより明らか。それというのも、春夏秋冬の四季だけに留まらない細やかな、そして日本固有の季節感が今でも私たちの生活に染みわたっているからとは言えないでしょうか。一般的には二十四節気の小暑から立秋の少し前あたりにかけての期間が、暑中見舞いの季節と考えられているようです。そして、ただ「暑いから暑中見舞い」「年が明けるから年賀状」ではなく、その時々の繊細な季節感に応じて相手を思いやる気配りは、葬祭業の根本にも通じるものがあるはず。真夏の葬儀は何かと大変なことも多いとは思いますが、そんな時こそ亡くなった方に思いを馳せて、季節感と一緒にお客さまの記憶に長く残るような葬儀のお手伝いを心がけてみませんか。

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第51回

死と想像力

 四月二十五日、ヒマラヤ山脈の麓にひろがるネパールを大地震が襲いました。正確な被害の実態は未だ明らかになっていませんが、ネパール国内の死者は現時点で七千人を超えると報道されており、さらに周辺各国にも無視できない数の犠牲者が生じています。すみやかな救助と支援を望むばかりです。
 日本に住む大多数の人びとにとって、おそらくネパールという国のくわしい地理や歴史を問われれば返答に窮することでしょう。いささか語弊はありますが、「どこかの誰か」という感覚を持ったとしても無理からぬことです。しかし、それでも死者への哀悼の念や、遺された者への共感を私たちは持つことができます。日本が経験してきた数々の大震災と、今回のネパール地震の状況が重なってみえるという方もいるかもしれません。
 死と死者について語るとき、よく「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」といった区別を用いることがあります。一人称とは「わたし」、二人称とは「あなた」、そして三人称とは先ほど述べた「どこかの誰か」のことです。知己ではあるが「あなた」と呼ぶほどの親密さはない。もしくは、何となく思い浮かべることはできるけれども、直接会ったこともなければ話したこともない。つまり三人称の死とは、そういう存在の死を指します。
 だからこそ「どこかの誰か」の死は、それを受けとめる側の想像力の問題という見方も可能です。今回のネパール地震にしても、死者何千人という数字の背後には、ひとつずつ異なる膨大な人生と死にざまがあり、また遺族の悲しみがあるはず。そのことに対する想像力こそが、現代社会に最も求められているものではないでしょうか。「わたし」と「あなた」の死についてはあれこれ思案するが、「どこかの誰か」の死については無関心――そんな状況に社会が舵を切り始めてしまわないよう、時には大局的な見地で現代の死を見つめる姿勢を持ちたいものです。

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