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全葬連葬儀事前相談員

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葬祭コーディネーターコンテスト

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葬祭コラム

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第30回

タテ・ヨコ・斜め

 言葉とは、もちろん意思疎通のためにあるもの。それでは同じ言語を話す者どうしならば問題はないかというと、そういうわけにはいきません。たとえば先日も、こんな出来事がありました。放送で外来語が過度に用いられているという理由で、ある男性がNHKに対して訴訟を起こしたというのです。どの番組を見ても「リスク」や「コンシェルジュ」といった外来語が乱用されており、そのことで精神的苦痛を負ったのだとか。
 かくいう私も外来語については、精神的苦痛とまではいかずとも同じような思いをしたことが多々あります。この前も会議中に「アカウンタビリティとコンピタンスのシナジーが」といった議論を目の当たりにして、思わず「もう少し日本語でお願いします」と言ってしまいました。しかし、今さら「ドア」や「コップ」といった言葉まで元来の日本語にしてしまうのも、逆に無理があるでしょう。
 そのような「タテ文字」対「ヨコ文字」の、つまり「日本語」対「外来語」をめぐる問題の難しさは、私たちにとっても対岸の火事ではありません。以前にも増して顧客への明晰な説明が求められている昨今、特に高齢層に対して分かりやすい言葉を用いるという配慮が重要性を帯びています。たとえば「グリーフケア(またはグリーフワーク)」という用語にしても、業界の内部にいる者にとっては普通名詞のようになりつつあるものの、それを平易な表現で消費者に伝えられるかどうかといえば、しばし考えてしまう方も多いのでは。
 いずれにしても、要はタテとヨコのバランスの問題と言えますが、どちらかに偏るというのではなく、より良いサービスの提供を心がけるという姿勢に沿えば、私たちとしてはタテ・ヨコの中間である「斜め」あたりを行くのがよいのでしょう。とは言いながら……ここまで書いて「バランス」も「サービス」もヨコ文字であることに気づきました。日本語は難しいものだと、つくづく感じます。

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第29回

言挙げ

 今年はわが国を代表する神社である伊勢神宮と出雲大社が、ともに遷宮を迎える年。遷宮、つまり新しい社殿へと神さまに遷っていただくのは、伊勢神宮では二十年に一度、出雲大社ではおおよそ六十年に一度のことですから、その双方が重なるとあって大きな注目を集めています。そしてまた、大小さまざまな神事を数年間という長い時間をかけておこなうというのも、スケールの壮大さをあらわしていると言えるでしょう。
 さて神事と聞くと、私などは「神事は言挙げせず」という文句や、あるいは万葉集におさめられた柿本人麻呂の「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」という歌を思い出します。この「言挙げ」とは、言うなれば「ことさらに言葉に出して意味や解釈をいろいろと主張すること」ですが、もちろん昔の人びとにも、自らの行為を裏付ける意味や論理を明確に打ち出さなければならない局面は多々あったはず。しかし、とりわけ儀式や作法といったものについては、言挙げを避けるということが美的観念のひとつとして受けとめられてきたのも事実です。
 一方、そのような「特に意味を追求せず、あるがままの自然に委ねる」という感覚や、ほどよい曖昧さを残すということは、現代社会では何事につけ否定的な印象でとらえられているとも言えます。それは今日の葬儀も同様で、ひとつひとつの所作やサービスに、どれだけの意味やメッセージを込められるかということに腐心されている方も多いのではないでしょうか。
 顧客がそれぞれに持つ「葬儀の意味」をしっかりと汲み取ることは私たち葬祭業に携わる者の根幹ではありますが、逆にそれが押しつけがましくなることも考えもの。そのバランスの取りかたは何とも難しいものとは言え、時には「無理に『言挙げ』しなくてもいいですよ」と天衣無縫にさらりと亡き人を送るのも、あってよいことなのかもしれません。

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第28回

とむらいの色

 葬儀に用いられる色といえば、現在でも黒を基調としたものという見方が一般的でしょう。形式ばらない個性的なふるまいが尊重される時代とは言いながら、喪服をはじめとする黒を基本としたシンプルな色調は、現在でも「とむらいの色」としての地位を保ち続けています。しかし一方で、それは深遠で厳かな色でもありますが、どことなく寒々しい印象があるのもたしかです。
 つい先日、「この建物には、できるだけ暖色を使うようにしているんですよ」という言葉を、ある葬儀会館で伺いました。なるほど外観も内装も特に奇異な感じは受けませんが、色というよりは「色彩」といったほうが適切であるような、穏やかで豊かな色調で統一されています。もっとも、このようなケースは今やさほど珍しくもないのかもしれません。生花祭壇の隆盛は言うに及ばず、現在では従業員の制服に明るい雰囲気の色を採用する場合も多いとのこと。また、前回とりあげた霊柩車にしても、少し前から車体色に白を用いるデザインが増えてきました。そうなると、昔は頻繁に出番のあった黒と白の鯨幕も、今や倉庫に眠ったままという方も多いのではないでしょうか。
 もちろん黒という色、あるいは黒と白を組み合わせたモノクローム色は、歴史的にみれば葬儀に際しての絶対的基準というわけでもありませんでした。いわゆる黒喪服が全国的な傾向になったのは明治・大正期のことと言われていますし、さらには紅白の水引を香典袋に使う場合も過去にはあったようで、今も一部の地域で用いられていると聞きます
 いずれにせよ、葬儀をめぐる近年のうつりかわりはまさに目まぐるしいという表現が当てはまるものですが、「とむらい」と結びつく色彩感覚の意識変化も、どうやらそのひとつと言えそうです。そのうちに鮮烈なピンクの経帷子なども出てくる、かどうかはちょっと分かりませんが……。

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第27回

霊柩車いまむかし(その二)

 前回に引き続き霊柩車の話題を。運転する側だけでなく、霊柩車を見る側の感覚にも、宮型と洋型では大きな違いがあります。あくまで私の個人的経験ですが、宮型を運転していると、こちらに向けて合掌してくるお年寄りや、慌てて親指を隠す子どもなどを時折見かけました。実際に私も、幼いときは霊柩車を見れば「親が早死にしないように」とばかりに手を握りしめて親指を隠したものです。
 今でもそのような仕草が残っているかどうかは寡聞にして知りません。しかし宮型の意匠が、それを見る人の日常のなかに他界や死のイメージを不意打ちのごとく思い起こさせてしまうと考えれば、自然に礼をしたり親指を隠したりする人がいるのもうなずけます。一方で、洋型を運転していても、あまりそのような光景に出会うことはありませんでした。「あの世」のイメージを薄めて、日常に供する普通のクルマに近づけたデザインこそが洋型なのですから、当然と言えば当然です。
 そしてまた、この点が前回の「宮型は出入禁止」、つまり死を想い起させるものをできるだけ遠ざけたいという感覚にも連なっています。これを良し悪しという観点だけからみるのも表面的に過ぎるでしょうし、時代の流れという他はありませんが、これに対して『霊柩車の誕生』を著した当の井上章一氏は、新しく加えた箇所で次のように述べています。
 「とむらいの演出が都市の街頭からしりぞき、建築やインテリアにむかいだしている。今のそんな趨勢は、外への効果をとどめた宮型が姿を消していく時流とも、ひびきあう。宮型に代表される外むきの演出が、もとめられなくなっていく。そんな時代だからこそ、内むきの演出がグレードを高めているのではないか」――さて、読者の皆さんはどのようにお考えでしょうか。また、これからも霊柩車が変化していくとすれば、それはどのようなものになるでしょうか。霊柩車を愛してやまない私としても、気になるところです。

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第26回

霊柩車いまむかし(その一)

 私が折にふれて読み返す本のひとつに、井上章一氏の著した『霊柩車の誕生』(朝日新聞出版)があります。その名のとおり霊柩車がうまれてきた経緯や、そのデザインの変遷などを扱った内容ですが、平易な表現を用いながらも緻密な社会史に、そして克明な葬祭業の業界史になっている点で、私たちには必読の一冊と言えるかもしれません。
 さて、つい先日その『霊柩車の誕生』に内容を新たに加えた増補新版が出たと聞き、期待に胸を膨らませながら入手しました。初版は一九八四年。そこから約三十年の月日が経っていることになります(その間に一度だけ若干の加筆が施されていますが)。とは言え、どのような内容が加わったのかということは、読む前から大よその想像がついていました。
 この三十年間の霊柩車をめぐる大きな変化と言えば、恐らくは読者の方々も何となく思いつくことでしょう。ご推察の通り、宮型から洋型への遷り変わりです。そして井上氏が補筆したのも、まさに「消えゆく『宮型』」と題して大きく一章分を充てた重厚な内容でした。詳しくはお読み頂ければと思いますが、実は私も毎日のように霊柩車を運転していた時代があったためか、色々な感慨があります。
 すでにその頃は「宮型は出入禁止」という火葬場もぽつぽつと出始め、また私が運転していた車種も洋型がほとんどでしたが、いずれにせよ運転に「慣れる」ということはありませんでした。お客さんやご遺体を乗せている最中に何かひとつでも間違いがあったら……という緊張感も、当然あります。ただしそれだけではなく、単なる「車の運転」と「霊柩車の運転」を分け隔てるような、一種独特の雰囲気を感じ取っていたと言えるかもしれません。少し大げさに言えば、霊柩車を運転するという行為そのものが、何やら神聖な儀式のようにも思われたのです。そして今ふりかえってみれば、その感覚はやはり宮型のほうに強く感じるものでした。【次号に続く】

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第25回

二年が過ぎて

 昨年三月号の本欄は、「一年が過ぎて」という題名でした。さらに月日が流れ、東日本大震災から二年。今回は少し趣を異にして、私の言葉を控えるかわりに、この二年間で印象に残った葬祭業者の方々の言葉をここで紹介してみたいと思います。
 ●東北地区の某単組・Aさん「本当に……心強かったよ。来てくれるだけで、涙が出た。ありがたかった。もちろん、来ない人をうんぬん言うわけじゃないんだ。物理的に移動できないということもあるし、何しろあの時の東北は『世界で一番危険な場所』だったから。でも逆に言うと、あの日の直後に来てくれた人は、それこそ命を賭けて来てくれた。つくづく、仲間だと……そう、誇りに思ったね」
 ●関東地区の某単組・Bさん「実を言うと、『気がついたら行ってた』って、そういう面もありました。あるいは、上から頼まれて、ということもないわけではない。ただ、『ここで行かなくてどうする?』って、本当に、そんな思いでしたよ。で、やっぱり自分の仕事もあるから、戻らなきゃいけない日がくるわけです。そして現地を離れるとき、役場に寄ったら……職員さんがね、全員総出で『ありがとうございました!』って。一列に並んで、建物の前に出てきて、最敬礼をしてくれるんです。泣きそうでした。いや、本当のことをいうと、泣いちゃったんですが……」
 ●九州地区の某単組・Cさん「行けなかったんです、私。いや、正直なところ『行かなかった』と、そう言ってもいいかもしれません。もちろん心配でしたよ。現地の人々はどうなってるのか。今、何が必要で、何ができるんだろうか、と。ただ、行かなかったことの……後ろめたさもあったのは事実です。そしたら後で、東北のAさんに会ったときに、『ありがとう。その思いだけで充分なんだ』って言われて。充分なはずは、ないですよね。でも、うれしかった。仕事に対する思い?ええ、そこから変わりました。かなり……ね」

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第24回

灰になってしまえば

 昨年の内に鬼籍に入った著名人には数々の印象深い方がいましたが、私の場合はとりわけ女優の森光子さんを思い出します。そしておそらく、森さんの一世一代の芝居と評された『放浪記』をご覧になった読者も多いことでしょう。これは作家の林芙美子による自伝的小説を演劇化したものですが、「放浪」と銘打つぐらいですから実際も波乱万丈な遍歴であった様子で、金銭や異性関係の問題で知人との仲をこじらせたり、辛辣な言葉で同業者を批判したりするなど、どうやら周囲との軋轢もそれなりにあった御仁のようです。
 さて、森光子さんが亡くなったと聞いて私が思いを馳せたのは、役者としての偉大な足跡もさながら、彼女が演じた林芙美子という人物の葬儀にまつわるエピソードでした。林芙美子は戦後まもない一九五一年に人気絶頂のなかで没しましたが、その葬儀委員長をつとめたのが、あの川端康成です。そして川端が送った弔辞は「故人は、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと二、三時間もすれば、故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許してもらいたいと思います」というものでした。文壇の頂点に立つ者だからこそ言える、ある意味では身も蓋もない言葉です。しかし、生前に林芙美子から散々な目にあった人びとも、この弔辞を聞けば「まあ、しょうがないな」という気持ちにさせられるのではないでしょうか。
 そしてここには、清々とした区切りのつけかたのひとつが顕われているような気もします。逆に、葬儀をおざなりにすると区切りも何もあったものではないわけですから、死者と生者の間に横たわる嫉みや憎しみといったものも、そのまま引き継がれてしまうということになるのでしょう。そう考えると「いかに清々しい区切りをもたらすか」ということも、私たち葬祭業者にとっては少なからず重要な眼差しであるのかもしれません。

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第23回

風化する前に

 年のはじめと聞いて思い浮かぶものと言えば、まずは初詣や初日の出、あるいはお年玉といった正月の風物詩になるでしょうか。いつになっても新年を迎えるこの季節は、何となく気分が昂揚するもの。しかし読者のなかには、あの十八年前の出来事に思いを馳せる方がいるかもしれません。
 一九九五年一月十七日午前五時四十六分。まだ松の内の空気も覚めやらぬ日の早朝に、あの阪神・淡路大震災が多くの人びとの命を奪っていきました。その頃の私は震源地から遠く離れた地に居を構えていたのですが、それでもあまりの揺れに飛び起き、凄惨な事態が時々刻々と報道されるのを目の当たりにして、一体この国はどうなってしまうのだろうと戦慄を覚えたものです。
 恐らく、誰もが「そのとき」は同じように感じたことでしょう。それでも時が経つにつれて人びとの会話やメディアの論評からは、ゆっくりと色あせるかのごとく阪神・淡路大震災の話題は消え失せていきました。
 当時生まれた新しい命がもう少しで成人になろうかというほどの時間が流れ、「震災」と言えば東日本大震災を指すようになった今、記憶が風化していくのも自然だという見方もあります。それでも、まだ十八年。いわゆる復興住宅で困難な生活を余儀なくされている方々も多く、当時の被災者が次々に他界していくなか、「そのとき」の記憶を受け継いでいくことは現在生きている私たちの責務であるような気もするのです。
 そして災害という出来事に限らず、考えてみれば私たちが請け負っている葬儀というのは、世代から世代へと記憶を受け継いでいく場でもあるはず。早い・安い・便利といった合理性だけを求めて葬儀が「記憶の終着点」になってしまわないよう、私自身も初春を迎えたこの季節に、清新な気持ちで身を引き締めたいと思います。今年が読者の皆さんにとって、よい年でありますように。

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第22回

「イマジン」に思う

 「イマジン」と言えば、ビートルズのメンバーであったジョン・レノンの代表曲です。今年はビートルズのデビュー五〇周年にあたるそうですが、考えてみればすでに七〇年代初頭で解散していますし、またレノン本人についても狂信的ファンの凶弾による衝撃的な暗殺事件から早や三〇年以上の月日が流れました。それでもなおビートルズとレノンのとちらも広く語り継がれているというのは、やはり一時代を築いた才能の故なのでしょう。
 ところで最近、彼らをうみだした英国から興味深いニュースが舞い込みました。冒頭の「イマジン」を葬儀で流すことが禁止されたというのです。「まさか公権力が葬儀の音楽にまで口出しを?」と思って英国の関係者に真偽を問うたところ、どうも「禁止」というニュアンスとは異なることがわかりました。
 教会の聖職者達のなかには「イマジン」の歌詞に不快感を示す者もいるらしく、それを感じ取った葬祭業者の側が自主規制を掛けている、というのが実情のようです。なるほど、歌詞は「天国なんて存在しないと想像してみよう」というくだりから始まって、「地獄もないし、宗教もない」といった言葉が散りばめられていますから、伝統的なキリスト教の観念とは相容れないところもあるのかもしれません。教会側と顧客側の間で板ばさみになるディレクターの困惑が目に浮かびます。
 とは言え、葬祭業者ならば顧客の望みにできるだけ沿いたいと思う一方で、宗教規範を守りたい(あるいは「守らせ」たい)と聖職者が思うのも自然なこと。このように個人的信条と宗教的教義がせめぎ合うというケースは、恐らく私たちの多くがさまざまな局面で経験するものと察しますが、「イマジン」をめぐる問題はあらためてその難しさを突きつけていると言えるでしょう。私自身はどちらの味方になるのが正解かということではなく、強いて言えば「故人の味方です」という考えから出発する他はないと思うのですが・・・・・・。

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第21回

感情労働

 先日、ある葬儀で次のような光景を目の当たりにしました。遺族を焼香に誘導する際にディレクターの目に涙が溢れ、その内に感極まって嗚咽を漏れらし始めてしまったのです。後から聞けば、「故人の奥様が遺族席で赤ちゃんを抱きながら気丈にふるまっているのを見ると、つい・・・・・・」とのこと。
 興味深いのは、この経験を他の葬祭業者に話したところ、「絶対にあってはならないことだ」という意見と、「人間らしく共感できる」という意見にはっきりと分かれたことです。どちらかと言えば前者は業界内でも中堅以上に、そして後者は若手に多いという印象を受けますが、こうした二極化が見られるのは、葬祭業のプロフェッショナリズムのひとつであった「感情を抑制する」という意識に変化が生じているからなのでしょう。
 ところで、このように感情のコントロールが常に求められる仕事を、学術的には「感情労働」という用語で言い表します。典型例としては客室乗務員や電話オペレーター、そして現在では医師や教師なども該当するかもしれません。いずれも人間関係のコミュニケーションを中心とした職業ですが、葬祭業も他業種に増して高度な感情の抑制を要求されるのは明らかです。
 とは言え、感情を抑制し過ぎて機械人間のごとく無愛想になってしまうのも、その逆に感情を露わにし過ぎて三文役者の演技のように仰々しくなってしまうのも、対人サービスのありかたとしては難があります。重要なのは感情表現に普遍的な正解など存在しないということであり、その意味では冒頭に述べたディレクターの行為も、一義的な良し悪しではなく「バランス」の問題から判断されるべきです。さて、それでは皆さんは顧客の前でこのような感情表現のバランスをより良く保っているでしょうか。これを機会に、自らの仕事をこの感情労働という側面から省みるのも良いかもしれません。

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